寝言は寝てから
北海道小樽潮陵高等学校 第36代校長 片 岡 晃
同窓会誌への寄稿ということで、初めましてのご挨拶代わりに、今現在の私の教師としての問題意識等を含めて、次に綴りました。多少場違いに堅いところもありますが、ご一読いただければ幸いです。
私は1959年、昭和34年の生まれです。英語教師として3校19年(室蘭栄高定時制、蘭越高、札幌真栄高)経験し、教頭として2校6年(興部高、千歳高)、校長として3校8年(知内高、札幌白陵高、恵庭北高)経験してきています。今春、第36代校長として赴任してきました。
私が物心ついたのは、後志管内蘭越町でした。母方の祖父は大谷真宗派の僧侶で法誓寺という寺の住職を務めていました。1945年の敗戦後、焼け出されて食べるものもない子どもたちのために、祖母は愛星学園という養護施設を建てました。母は学園の事務を手伝い、父は小中学校教員でしたので、私が幼かった頃、園児のお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に暮らしていました。小学校に上がる頃に学園を離れて町営住宅に住み始めて、私に父と母がいたということを初めて知ったような記憶がありますが、これは後から作り上げた記憶かもしれません。中学校三年になる時に、父の転勤で小樽に引っ越してきました。本校のすぐ下、龍徳寺の上の真栄の借家に一家で住み、潮見台中学校に通いました。中学校三年の一年間だけでしたし、高校は結局札幌西高等学校に通ったので、同級生のこともあまりよく覚えていませんが、誰か私を覚えている同級生はいないのでしょうか…。ちなみに、大学は北海道大学に通いました。第二外国語として良くも考えずに中国語を選択しながら、結局就職を考えて英語英米文学科に移行し、ワーズワースとブレークの比較を卒業論文のテーマとしました。
教員としての最良の思い出は、私は1999年4月から2000年3月までの約一年間、アメリカ合衆国ワシントンD.C.で英語教授法に関する研修を受ける機会を得たことです。今はもう運用されていない制度ですが、その当時はある一定の研修を受けた教員のうちから、北海道で毎年1名選抜されて派遣されていました。在籍したのは、第42代アメリカ合衆国大統領を務めたビル・クリントンの母校、ジョージタウン大学でした。良い機会と思い、妻と一緒に合衆国内数カ所を観光しましたが、当たり前ですが英語漬けの毎日で、特に後半の半年は大学院のゼミに参加し論文執筆に取り組みました。英語授業におけるコンピュータ活用に関するその論文は、合衆国の論文データベースであるERICにもED439600として登録されました。(余談ですが、20年ほど経っているのにまだ検索できることは、少々驚きです。)一年間の学費は、文部科学省と道教委からいただいた出張旅費から支出しましたが、200万円以上だった記憶があります。4年間でかかる経費は、寄付金を含めると1,000万円以上、と聞いた記憶もあります。この大学は広くて蔵書が多い図書館を持ち、有名な教授が何人もいました。大学進学率が日本よりは遙かに高く70%程度と言われる合衆国は、授業料が高額であり卒業まで到達できない中退者も多いことで有名ですが、ジョージタウン大学の中退率は低いかもしれません。時々、文献を探しに他の大学図書館に行った折など、ジョージタウン大学が多くの面で恵まれていることを感じていました。比較的安価に通学できる州立大学もありましたが、同じ大学といいながら教育の中身は全く別物だと実感したのを覚えています。
さて、日本国憲法第14条は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としています。このことは教育基本法にも「教育の機会均等」という理念で反映されています。しかし、教育を受ける機会を保障するだけでは、「平等」な社会を形成するためには不十分ではないか、ここ数年の傾向はそれを示しているのではないか、と私は思うに至っています。いくつか、簡単に見てみたいと思います。
『東京大学学内広報№1503(特別号)2016年(第66回)学生生活実態調査』(東京大学, 2017)が示したのは、東京大学に入学した学生は経済的に恵まれた家庭出身者が多いということでした。2000年から2016年までの学生の家計支持者の年収額は、950万円以上がほぼ一貫して過半数でした。半数を切ったのは、唯一2008年の49.9%だけでした。子どもが大学に入学する頃の保護者の年齢は50歳前後が多いと思われますが、その時点で年収950万円は十分に経済的成功を収めた人と言えるでしょう。また、家庭の所在地は東京都+関東が最多で2012年以降増加を続け、2016年調査では67.8%と過去最高を記録しました。
『平成28年度北海道大学ファクトブック』(北海道大学, 2017)が示したのは、北海道大学に入学した学生のうち、北海道出身者が減少しているこということでした。北海道大学の学士課程に入学した学生の出身を見ると、北海道出身者が10年前の2008年の53.0%から毎年減少を続け、2016年には35.9%になりました。この後、2018年には32.2%にまで低下しています(『北海道大学概要2018-2019』, 北海道大学, 2018)。これと反比例するようなのが関東出身者で、2007年には12.1%だったのが、2018年には26.3%に達しています。なお、『平成29年度学校基本調査』(文部科学省, 2017)によれば、大学進学率の全国平均は54.8%ですが、北海道は47都道府県中40位の44.5%でした。
『学校に対する保護者の意識調査』(ベネッセ教育総合研究所・朝日新聞社共同調査, 2018)は、同社による2004年、2008年、2013年、2018年の調査を比較しています。中でも注目されるのは、「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向があると言われます。こうした傾向について、あなたはどう思いますか。」という問いに対して、「当然だ」「やむを得ない」と肯定する保護者が増加し、「問題だ」と否定する保護者が減少していることです。実は、2008年までは差別を否定する人が過半数を占めていたのですが、2013年では逆転して差別を肯定する人が過半数を占めたのです。そして、この傾向は2018年では拡大しました。
『全国児童養護施設調査2016』(NPO法人ブリッジフォースマイル, 2017)は、児童養護施設を退所した人々の進路を示しています。40都道府県134施設の職員から得られた回答を分析した結果、2015年度の施設退所者437人のうち、退所直後の進路は就職が67.5%、進学が26.5%でした。さらに、人数が少ないため一般論としては論じられないでしょうが、進学者のうち年度によって約15%~25%が中退しているとしています。それに対し、『平成29年度学校基本調査』(文部科学省, 2017)によれば、高等学校卒業生全体の進学状況は、現役大学・短大進学+現役専門学校進学者、つまり現役で高等教育機関に進学したのは71.0%です。過年度卒を含めると、高等教育機関進学者は80.6%とされています。なお、『学生の中途退学や休学等の状況について(報道発表)』(文部科学省, 2014)によれば、大学、短期大学、高等専門学校の学生のうち、中途退学者は2.65%でした。このことをまとめると、児童養護施設を退所した人は、大学・専門学校に行く割合が一般の半分以下で、また中途退学する率も一般の6倍以上、ということになると思います。
『平成29年度全国学力・学習状況調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究』(国立大学法人お茶の水女子大学, 2018)は、文部科学省委託研究として平成29年度全国学力・学習状況調査の追加調査として実施した「保護者に対する調査」の結果を活用し、経済力などの家庭の社会経済的背景(SES: Socio-Economic Status) と学力の関係、学力に影響を与える学校・家庭・地域の取組等を多様な観点から統計的に分析しました。その結果、家庭の社会経済的背景(SES)より、児童生徒の「非認知スキル」が学力により大きな影響を与えるとしています。「非認知スキル」とは、 “non-cognitive skills” の訳で、「社会情動的スキル」(social and emotional skills)とも呼ばれるものです。一般に、「認知スキル」(cognitive skills)とは知能検査や学力検査で測定される能力で、点数という数値に置き換えられるものとされています。非認知スキルは、それ以外の広い能力を指します。例えば、 “Skills for Social Progress: The Power of and Emotional Skills” (OECD, 2015) は3つのカテゴリー毎にスキルを3つずつ例示しています。目標の達成カテゴリーのスキルは、忍耐、自制、目標への情熱。他者との協働カテゴリーのスキルは、社会性、尊敬、思いやり。情動の制御カテゴリーのスキルは、自尊心、楽観性、自信、です。ここで注目されるのは、「保護者の適切な働きかけは,SESの高低にかかわらず,子供の「非認知スキル」を高める傾向があり,小学生でより強い影響がある。」とされていることです。また、不利な環境を克服している児童生徒の保護者は、規則的な生活習慣を整えたり、読書を勧めるなど文字に親しむように促したり、また知的な好奇心を高めるような働きかけを行っている点が特徴とされています。
東大入学者の保護者の年収や児童養護施設退所者の進路状況から言えることは、経済的に豊かな家庭の子弟は高い学力・学歴を有する傾向があり、経済的に豊かでない場合には学力は低下し学業を継続するのも困難な傾向があるという、たまたま出生した家庭の経済力による不平等です。ベネッセ教育総合研究所・朝日新聞社共同調査は、このことを過半数が受容する社会になった可能性を示しています。また、北海道大学入学者に占める北海道出身者の減少と特に関東出身者の増加は、私たち北海道の高校教師の努力不足という側面も指摘できるでしょうが、私は居住する地域による不平等と考えています。さらに、お茶の水女子大学の調査は、経済的に不利な環境を克服するにも、生活習慣に対する働きかけや読書を勧める取組など、ある程度の時間的余裕と教育的理念が必要であることを示しています。両親ともに不規則な就労形態である場合など、例えば夜早く寝させるだとか朝間に合うように起こすことは難しいことが想定できます。しかし、もし大きな価値を生活習慣に置く家庭であれば、多大な苦労をしながらもその困難を克服できるかもしれません。これは保護者の経済力による不平等と考えられるとともに、保護者の教育観による不平等とも考えられるのです。
不平等が公正な競争の結果であれば、ある程度はやむを得ない、甘受するしかないと、私は思います。しかし、どんな家庭に生まれたか、どの地域で育ったか、どのような育て方をされたかで大きな不平等が生まれるのであれば、それは公正でしょうか。「貧乏は遺伝する」と言ったのはビートたけしでしたが、教育行政はそれを放置していて良いのでしょうか。低所得家庭や少数民族等の社会的弱者を優遇する政策など、問題は多いかもしれませんが、「結果の平等」を約束して能力の伸張に対する意欲を維持することは必要かもしれないと、私は思います。私が幼い頃に一緒に暮らした愛星学園の園児は、遅くとも小学校の頃には中学校を卒業したら退所して働かなければならないことを理解していたはずです(その当時、退所年齢は15歳でした)。学習の意欲と進路希望が関係しているとしたら、彼らは小学校段階で学習意欲を持つ機会と能力を奪われたと言えます。年上の園児に缶詰の缶から作る手裏剣の作り方を教えてもらい、壁に投げて遊んでいて指導員に怒られたな、なんてことを思い出しながら、教育に関して「機会の平等」は寝言なのかなと思います。「寝言は寝てから」(©高橋純子朝日新聞編集委員)言えということかな。